夜天光
やてんこう
後編
シンジは演奏会の散らしを相手に、悪戦苦闘していた。
もう先程から何枚も描き損じ、時間の経過と共に屑入ればかりが溢れていった。
「・・・・・駄目だ・・・・」
シンジは鉛筆を放り投げる。
改めて、自分には図案感覚が無い事を思い知らされる。
口を吐いて出るのは、溜め息ばかりだ。
「シンジ、居る?入るわよ。」
不意に声を掛けられ、シンジが返事を返す前に、扉が開けられる。
アスカだ。
家が近い所為か、彼女はこうして時々シンジの家を訪れる。
大抵は、シンジの都合などにはお構い無しで、自分の為たい事だけして
帰ってゆく。
「ねえ、ちょっと、今日の国語課題の用紙を貸してくれない?
私、学校に忘れて来ちゃったのよ。どうせ、もう終わってるんでしょ?」
「・・・・・うん、ちょっと待って。」
シンジは席を立つと、アスカの言う通りに疾うに終わらせていた
課題の用紙を鞄から取りだす。
「・・・・何、これ?」
アスカはシンジの机に放り投げてある紙屑を摘み上げ、広げた。
「あ・・・!ちょっと、勝手に・・・・!」
広げて見るなり、アスカは顔を顰める。
「何よ、これ・・・酷いわね・・・・カヲルに頼んだんじゃないの?」
「・・・・・・・」
「・・・・・あっきれた、何、何時までもこだわってるのよ。
男らしくないわね。」
シンジはアスカの言葉に些か腹を立て、眉を寄せた。
「男らしくないって、どういう事さ・・・・?」
「其のままの意味よ。そうやって、意地張ってるのは勝手だけど、
周りに迷惑掛けるのはやめてよね。」
アスカはきっぱりと言い放つ。
「・・・・迷惑・・・・」
「そうじゃない、練習の時だってぼーっとしちゃって、
この散らしにしたってそうよ。
シンジがどうしてもやるって言うなら、それでいいけど。
あんまり変なの、出さないでよね。去年が立派だったんだから。」
「わかってるよ・・・・・はい、これ。」
シンジはアスカに用紙を差しだした。
アスカはそれを当たり前のように受け取る。
「ま、誤解の無いように言って置くけど、私だってカヲルの留学の話、
偶然に聞いたのよ。加持先生と話してるのをね。
・・・・・じゃ、これ借りてゆくわ・・・」
アスカはそう言うと部屋を出ていった。
シンジは机上に視線を落とし、アスカがわざわざ広げていった
散らしの描き損じを見る。
「・・・・本当に酷いや・・・・」
シンジはすっかりやる気を無くし、寝台に横になった。
「・・・・別に、意地なんて張ってないよ・・・」
* * *
シンジがカヲルと初めて会ったのは、図書室だった。
ぐるぐると室内を巡り、漸くシンジは目的の本をみつける。
「あった、」
シンジが本に手を伸ばす。
処が、シンジ以外の手も、其の本を選んでいた。
「あ・・・・・」
お互い視線を交わす。
入学して間も無い頃だったが、シンジはその生徒の名前を知っていた。
渚カヲル、それが彼の名前だ。
容姿の端麗さと、成績の良さが評判の生徒だった。
入学試験の成績も、最も優秀で、入学式の時には新入生代表として、
挨拶をしていた。
その堂々とした姿はとても印象深く、シンジは今でもはっきりと思いだせる。
カヲルは鮮やかな笑顔をシンジに向ける。
「君も、鉱物に興味があるのかい?」
「え・・・・う、うん・・・・」
シンジはその笑顔と、親しげな口調に戸惑い、口篭るしかなかった。
「僕もだよ。よかったら、君の次に其の本を回してもらえる?」
カヲルはそう言うと、シンジに本を譲った。
シンジとカヲルはそんなふうにして、知り合った。
「ほんと、わっかんないわ。馬鹿シンジとあのカヲルが仲良くしてるなんて。」
いまだにアスカは、そんな事を口にする。
そんな時、シンジは苦笑いを浮かべるしかない。
自分自身でも、そう思う時が在るからだ。
「・・・・結局、そう言う事なんだ。」
天井を見上げながら、シンジは呟く。
鎮まった、夜の闇。
かちん、と窓硝子に何かがあたる。
シンジは僅かに頚を擡げる。
虫でも当たったのだろうと、また枕に頭を沈めた。
かちん。
再び、何かが硝子を鳴らす。
シンジは体を起こした。
少しの間考えていたが、寝台から降りると窓を開け外を覗く。
「!・・・カヲル君・・・」
意外な人物をそこに見たシンジは、うろたえた。
カヲルは微笑み、外に出てくるように合図を送ってくる。
シンジは困惑したが、直に外套を掴み外へ出た。
「やあ・・・・」
何事も無かったかのように、いつもの調子でカヲルは笑う。
「・・・・どうしたの、こんな時間に?」
「うん・・・今日は渡すものが在ってね。」
カヲルは、茶色の封筒をシンジに差しだす。
シンジは頚を傾げ、封筒を受け取ると、中を覗いた。
「!・・・・カヲル君、これ・・・・」
中に入っていたのは、演奏会の散らしだった。
それは意匠の凝らされた図案で、シンジが描いていた散らしとは
雲泥の差がある。
美しく配された文字は、其のひとつひとつが丁寧に書き込まれ、
カヲルの手先の器用さが伺えた。
色使いも見事だ。
彼の色彩感覚の繊細さが、よくわかる。
「どうして・・・・?」
「だって、今年も僕に頼むつもりだったんだろう?」
屈託なくカヲルは笑う。
「・・・・・・・」
シンジは黙って俯いた。
その散らしを頼もうと、図書室に行ったその日に、二人の関係は
おかしくなってしまったのだ。
「少し、歩かないかい?」
カヲルが、そうシンジを誘う。
「・・・・うん・・・・・」
シンジとカヲルは黙ったまま、歩いた。
お互いに、あの日の事を意識しているのは明らかだ。
月が明るく、二人の足元を照らす。
所在なく、シンジは空を見上げる。
明るすぎる月は、夜天の星を、その煌きで覆い隠してしまう。
そこに確かに在るのに、見えないもの。
先に沈黙を破ったのはカヲルだった。
「玉兎って、言うんだよ。」
夜天を見上げているシンジに、カヲルは言った。
「えっ?」
「月の別名、昔の人は月に兎が住んでるって信じてたんだ。」
「へえ・・・・」
シンジは感心して、カヲルを見詰めた。
カヲルが立ち止まる。
「シンジ君・・・・ごめん・・・」
カヲルの言葉に、シンジは掌を握り締める。
「どうして、・・・黙ってたの?」
ともすると、感情的になってしまいそうな自分の心を押さえ、
シンジは自分を埋め尽くしていた、其の疑問をカヲルに向けた。
カヲルは何時に無く、硬い表情をしている。
「うん・・・・意気地が無かったのかな・・・・
ほんとは、一番に話すつもりだった。
けれど、いざ話そうとすると駄目なんだ。どうしても。」
「・・・・何時、決めたの?」
「・・・・・夏季休暇前に。伯父がね、呼んでくれたんだ。
どうしても、行きたかった。
でも、僕が直に答えを出したなんて、思わないで欲しい。
もし、シンジ君が行くなと言ったら、きっと僕は行けないよ。」
シンジは其の時になって初めて、親しさがかえって言えない言葉を
作ってしまうのだという事を知った。
見えないものは、星ばかりではない。
「言わないよ・・・・・行くな、なんて。」
「・・・・なんだ、冷たいな、シンジ君。」
カヲルはそう言って、表情を崩した。
「・・・・・だって、それを言ったら、カヲル君は行けないんだろ?」
シンジは、ふい、とカヲルから視線を反らす。
ともすると、泪が零れてしまいそうだった。
「あ・・・・そうだ、これ・・・」
カヲルは、シンジの手を取ると、小さな箱を握らせた。
「?」
シンジは、手を広げ、箱の中身を見て驚いた。
それは、カヲルが収集為ている鉱物標本の中でも、最も大切にしている
蛋白石だった。
親指の先程の巻き貝が、蛋白石に置換されたとても珍しい鉱石だ。
鉱物標本に為ておくには 勿体無い程の、大柄な遊色を持っている。
「カヲル君!」
驚くシンジに、カヲルはいつもと変わらない笑顔を浮かべる。
「勘違い為ては駄目だよ。それは、君にあげるんじゃないんだ。
預けるんだ。」
「だって、これはカヲル君が一番大切にしている物じゃないか。」
「だからだよ、これは保管に手間がかかるだろう?
シンジ君は、これの保存に手を焼いて、僕の事を一日だって
忘れる事が出来ない。」
「酷いや、カヲル君!」
二人は声を出して笑った。
「距離なんて、関係ないよ。僕たち。
どんなに離れても、僕がシンジ君を大切に想う気持ちは変わらない。
シンジ君だって、そうだろう?」
「・・・うん・・・」
堪えていた泪が、一筋、シンジの目から溢れた。
カヲルは、それに気が付かない振りをする。
「・・・・夜天光、って言ってね、月の無い様な真っ暗闇でも
僅かな光りが在るんだよ。
僕にとっての夜天光は、シンジ君なんだ。
何時だって、僕の行く先を照らしてくれるのはシンジ君、
君なんだよ。
きっと、僕は帰ってくる・・・・だから、僕のこと待ってて。」
シンジは黙って頷いた。
* * *
「・・・・どうしちゃったの、馬鹿シンジ。
何だか、急に音が変わったわね。」
アスカが感心したように呟いた。
「そう?」
「何かあったの?」
「別に・・・・何も無いよ。」
シンジは穏やかに、そう答える。
「・・・・セロ弾きのゴーシュね。」
ぽつりとレイが呟いた。
「・・・・ゴーシュ・・・・・か、
なら、印度の虎狩りでも披露しようか。」
冗談を言い、シンジは笑った。
「なによ、それ・・・・」
アスカが不機嫌に、レイを見る。
「今日は、終わりにしましょう。」
「・・・・・なんなのよぅ。」
不機嫌にアスカは、頬を膨らませた。
「シンジ君、練習終わったかい?」
カヲルが、扉から顔を覗かせる。
「うん、今、終わった処だよ。」
シンジは楽器を片付ける。
「・・・・どうしたんだい?」
膨れた顔をしたアスカを見て、カヲルが頚を傾げる。
「知らない!」
いつの間にか、空は高くなっていた。
凍える季節がやって来る。
* * *
その日、シンジはカヲルの見送りには行かなかった。
「だって、何処か旅行や、散歩に行くのにわざわざ見送りはしないだろう?」
カヲルは、笑ってそう言った。
シンジも、確かにそう思う。
見送れば、二人を隔てる距離を、感じずにはいられなくなる。
カヲルが見送りを望まなかったのは、彼なりの優しさなのだろう。
それとも、自分自身の意志が挫けてしまわないようにだったのか。
シンジは、今ごろ機上の人であろうカヲルを思い、天を見上げた。
「・・・・・狡いや、あんな言いかたされたら、
行くなんて言えないじゃないか・・・・」
おわり
あとがき
な、なんと、尻切れトンボな終わり方をしているのでしょう。(^_^;)
やはり、名前以外カタカナを使わないというのは、結構きつかった・・・
語彙の乏しさが敗因か・・・・やはり・・・
演奏会というのもまずかったです。楽器の名前、出せないじゃ〜ん!
前編後編とやっておきながら、この程度のものしかお見せできなくて
お恥ずかしいかぎりです。(;_;)
しかも、名前以外にカタカナ出してしまいました。
うう・・・1回目からこれでは先が思いやられてしまう。
何時までも、悔やんでいても仕方ないので、次回です。
次回の課題はまだ決めてないんですが、何か、ドロドロ為たのが書きたい
気分なのでドロドロをテーマにするのも悪くないかななどと・・・・
でも、ドロドロってなんじゃらほい???(*_*?)
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